あらすじ
孤児ながら苦労して英語教師になった黄載奎(ファン・ジェギュ)は、結
婚して幸せに暮らしていたが、一つ目で額に口がある奇形児が生まれ、苦悶の末、その子を殺してしまう。
やがて下獄した彼を待っていたのは、妻が不倫に走り、そのことに耐え切れず自殺したという報せだった。
出獄後、予備校教師となった載奎は、かっての教え子である慶淑(キョンスク)と暮らしている。高校教師だった載奎に猛烈なアタックをしかけた慶淑は、いまは専門医の道を進む立派な女性で、載奎を愛しており、載奎との結婚に反対する親と三年も闘い続けている。
人生のすべてにとまどっている載奎は、慶淑との結婚話に迷っているのだが…。
公演概要
劇作家・演出家の小松杏里さんが、福岡から引っ越すのを機に、HIROBAプロジェクトが行った、演劇リーディング公演です。
演目名に “豚” “オートバイ” という単語がありますが、どちらもイメージ化させることなく、作品のテーマを暗喩するグラフィックになるようデザインしました。グラフィックが「豚とバイクの写真・イラスト」であれば、もはやそれはグラフィックとはいえません。
- 演出:小松杏里
- 作 :李萬喜(イ・マニ)
- 訳 :熊谷対世志
- 上演:2006年 3月4日〜5日
- 主催:HIROBAプロジェクト(代表:薙野信喜)
出演
登場人物 | 俳優 |
---|---|
黄戴奎(ファン・ジェギュ) | 中村卓二(P.T.STAGE DOOR) |
黄戴奎の妻 | 面谷郁子(劇団宍の会) |
朴慶淑 | 都地みゆき((劇)池田商会) |
医者 | 渡辺ハンキン浩二 |
看護婦 | 松岡優子(劇団0相) |
修道院長 | なかむらとし子(劇団クレイジーボーイズ) |
チェ・バンドンの妻 | 宗 真樹子(劇団きらら |
検事 | 矢ヶ部哲 |
弁護士 | 鈴木新平(リーディングシアター・リモの会) |
声 | 幸田真洋(劇団Hall Brothers) |
場内リーフレット
福岡の多くの小劇場では、観客にリーフレットが配られます。しかしその内容は、脚本家や役者の挨拶文が大半で、一般観客が知りたいものではありません。演劇関係者の友人・知人以外は、そんなものを望んでいません。
リーフレットでは、劇中の時代背景を丁寧に開設することにしました。奇形児をもうけた夫婦の苦悩と裁判の様子が、「いま振り返ってみると、韓国現代史の暗喩である」ということを明確に述べる文章を掲載しました。
以下はその全文です。
松田聖子が「裸足の季節」でデビューした頃、李萬喜は何の渦中に居たのか
それまで軍事独裁政権として韓国を統治していた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が、1979年10月に暗殺され、国民に「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードをもたらした(実行犯の名は劇中の主人公と同じ戴奎[ジェギュ]である)。
しかし、その温かい風は、すぐに冷めていく事になる。
同年12月、軍内部で、独裁指向の派閥によるクーデターが発生。軍部を掌握していない大統領は、これを黙認せざるをえなかった。
この新軍部に対して市民や学生による抗議デモが発生、その民主化を求めるエネルギーに対して、1980年5月18日、ついに光州で軍部隊が鎮圧に乗り出し、数十名の市民が殺され「光州事件」が出来した。翌19日には軍事封鎖された同市で大規模な武力鎮圧、20日には火炎放射器が投入され、26日には戦車まで乗り入れて市民を轢殺し始める事態にまでになった。
この流血の惨事は28日になって、市民の逮捕・拘留および金大中の死刑判決という形で幕を降ろした。韓国の民主化は、1987年まで持ち越される事になったのである。
尚、李萬喜は事件の渦中に光州市内で旧友と再会し、その後小劇場を始めた。本作品は1993年に執筆された。
解説:熊谷対世志(翻訳者)
本作品は李萬喜の真の処女作である。処女作にその作家の全てが表れると云う話を信じるなら、本作品は李萬喜作品の魅力、舞台上に流れる韓国人の「生きて来た時間」、そんな「時間」が主人公である様な作品と云う魅力の全てが詰まっていると云える。苦行のような戴奎の「揉み苦茶の(人)生」、そこに生れる奇形児、不可解な嘗ての妻、ミョーに元気で一途な慶淑、裏切ってしまう一番の親友崔判東、彼等は必ずしも舞台上の架空の人物ではなく、韓国人の「生きられた時間」なのである。それは再びやり直す事の出来ない「やってしまった」事供であり、併しそれを引受けて新たな出発をしなければならない「生きられた時間」でもある。「奇形児」は「独裁政権」や「光州事件」と云った韓国現代史の「苦しみ」や「困難」の比喩であり、「妻」は古くて貧しくて苦しい韓国の、「慶淑」は新しくて豊かで自由な韓国の象徴でもあり、躊躇ってばかりいる「戴奎」は新しくて豊かで自由な現実に躊躇う「韓国人」の姿であると李萬喜は云う。だがそれは作家の勝手な思いには終らず、韓国の観客は自分の生きて来た「時間」と重ね合わせ、彼等も又そうであった様に、その様にしか生きる事が出来なかった70〜90年代の韓国の激動の20年という「時間」に、思いを馳せたのである。
執筆時「罪が深ければ運命も深い」という語が頭から離れなかったと李萬喜は云う。その意味で、通常彼の代表作と云われる『それは木魚の穴の底の小さな闇でした』よりも、或いは他の作品よりも、「妻」に弁明の機会を与えられたと云う事で本作品に愛着もあり自身もあると云う(もし新たに書き直せるなら、妻の立場からもっとキチンと弁明させて遣りたいと迄云っているが)。本作品に込められた「罪の深さ/運命の深さ」、作家の「愛着の深さ」を味わって頂ければ幸いである。
劇中用語
- オンドル
- 朝鮮半島や中国で普及している、床下暖房の一種。昔は薪や練炭を燃やしていたが、現在は灯油・ガス・電気を熱源とする温水床下暖房が主に使われている。
- 直系卑属
- 実子・孫を指す法律用語。これに対して父母を直系尊属と呼ぶ。
- 百日目のお祝い
- ペギルと呼ばれる韓国の風習。韓国では子供の生誕100日目に、人々が集まってお祝いする習慣がある。
- 人中がない
- 人中とは、顔面の鼻と上唇の間にある溝。ここが先天性異常により存在せず、上唇が裂けたまま生まれる子供がおり、口唇裂児と呼ばれている(チラシのイラストを参照)。形成手術により修復できる。「お乳を自分で吸えない」という台詞は、独裁の実態を比喩しているのだろうか。
- サリドマイド
- 日本では「イソミン」等の名前で売られた睡眠薬。胎児に影響を与え、腕や足・耳などが発育しない「アザラシ肢症」等の奇形を誘発するので回収された。鎮静効果が実証されないにもかかわらず、開発者の思い込みと利益主義から発売され、惨禍を招いた。その一方で、ハンセン氏病の合併症・結節性紅斑の特効薬という一面を持つ。
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