前回のエントリでは、ゲーム中に存在する、原爆について書きました。今回は、もっと日本の原爆体験に近い話題です。
核兵器ランチャーの名前が変更された
このゲームの発売前、プロモーションムービーがいくつか公開されました。その中の一つに、ある核兵器を扱ったCM風のムービーがあります。
「いじめっ子達にいじめられるのは、もうこりごりかい? ──もし、永遠にいじめっ子を消す方法があったら?」
「いいかいジミー、我々の政府にもいじめっ子がいて困ってるんだ。」
「THE FATMAN、戦術核ランチャー」
FATMANというのは、ナガサキに落とされたプルトニウム型原爆の愛称です。“THE” という定冠詞を付けていることから、ナガサキの原爆を引き継いでいる存在だと思って間違い無いと思います。
いくらゲームといえども、さすがに「被爆国」でこの名前はマズイと思ったのでしょう。日本語版では「ヌカランチャー」という字幕になり、ゲーム中の装備品でも名前が変更されていました。
被爆者としての登場人物
Fallout3 は核戦争後の世界が舞台なので、当然のようにゲーム中には「被爆者」が登場します。
ゲーム内では“グール”と呼ばれる人種で、放射線被曝の影響で歳を取ることがなく、寿命で死ぬことがありません。被曝の影響で全身がケロイド状にただれ、毛髪も疎らな見た目から、グールと呼ばれています。
モデルは、日本の被爆者では?
キャラクター達のモデルは、日本の原爆被爆者(の生き残り)を彷彿とさせる…と言ってもいいのでしょう。明らかに、彼らがモデルだと思います。
グールとは、人間の死体を食べる西洋の死霊
この「グール」という名前は、元々は人肉や死体を喰らう西洋の死霊を指したものです。
もしも現実の被曝者に付けたとしたら、侮蔑としか言いようがないひどい名称ですね(私もこれはちょっと趣味が悪いな、と思います)。
しかし、このゲーム世界では、被爆者=グールに対する、いわれのない差別や偏見がきちんと描かれています。プレイヤーと彼らとの接し方によって、少しずつこのグールが世間に受け入れられていく流れを作る事も可能ですし、徹底的に無視して、もしくは空気のように受け流すなどして、お互いの精神的テリトリーを犯さないゲーム展開も可能です。
娯楽ゲームとして、本質的に伝えたいテーマとは
私は、ゲームの本質的な面白さが、できるだけ多くの方に伝わる方が良いと思います。
このゲーム「Fallout3」の本質的な面白さとは、何でしょう。ゲーム内のクリア条件はただ一つ「父親から受け継いだものを活かし、放射能汚染除去プラントを稼働させる」というものです。
その過程において、簡単には善悪の区別がつかない、無数のストーリー分岐を、プレイヤー自らの倫理観で選ぶことになります。
この、“選択”こそが、本作品の本質的な面白さなのだと思います。
その本質的な面白さが皆に伝わるためには、被爆国で、まだ被爆者も生存し、記憶も薄れていない被爆体験を茶化し、無用な不快感を与える必要はありません。このような配慮は必要だと思います。
エンディングでは、このゲームのメインテーマが「人は、過ちを繰り返す」だと述べられます。
どういった選択肢が過ちであったのか、そもそも「正しい選択」というのが、それほど単純に成立するのか? ──ゲームの中で、常に問いかけられます。“盗人にも三分の理”ではありませんが、非道な選択肢を選んだとしても、そこには、悪党たちなりの倫理や、元悪党ゆえの贖罪といったテーマがきちんと描かれます。
このゲーム Fallout3 は日本の表現規制の中で、残酷な現実をどう画面に表示していくのかを、真っ向から挑戦した作品だったと言えるのではないでしょうか。
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